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浜家 有文子 さん
にききました

浜家 有文子(はまゆう)さん

元CNN Headline キャスター/元J-Waveナビゲーター

英語コーチ/英語発音トレーナー/子供英会話講師

テレビ・ラジオ ナレーター/各種イベント司会​・リポーター

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私はCNNのバイリンガルキャスターという仕事をしていました。

 

バイリンガルになるまでの道のりの始まりは2歳の時です。父の仕事の関係でアメリカに渡って、5歳までの3年間を過ごしました。はじめの頃のことはあまり覚えてないのですが、

保育園に行くようになってからの記憶はけっこう残っていて、先生が言っていることはわかっていました。

でも、不思議と自分から何か話したのは覚えていないんです。

その後、一度日本に戻ってきたのですが、半年後にはオーストラリアのシドニーに渡り、そこでまた幼稚園に行くんですが、そのときも先生が言っていることがわかりました。習い事でバレエに行ったりしても、そこで何か困ったという覚えはありません。

6歳になって現地の日本人学校に入学しました。2学期の半年間くらいだけですが。学校では日本人のお友達と遊んでましたし、あまり英語は使っていなかったと思います。でも、普段の生活……ちょっとした買い物とかは英語だったんですけどね。

そして3学期に入るころ、また日本に帰ってきて公立小学校に編入しました。そこでは日本語で困ったということもなかったです。父母と私と妹の家族4人は、日本人ですから家の中ではだいたい日本語なので。

それで、忙しいんですが、日本の小学校も2年弱で今度はまたアメリカのロサンゼルスに戻ったんです。3年生の2学期(当時8歳)でしたが、2年のブランクがあるので、最初はやっぱり英語がわからないという感覚があり、英語で学習する学校の勉強はぜんぜんわかりませんでした。

勉強以前に、先生が英語で言っていることも、あまりわからなかったですね。

友達が「トイレだよ」とか「ごはんの時間だよ」ということは教えてくれるんですが「そのくらいはわかるよ」と思ってました。

ESL(English as a Second Language)という、英語が母語ではない子ども向けのプログラムがあって、みんなが国語(英語)の時間はそのクラスに行くんですが、英語を勉強するというより、英語のゲームをしたり、書く練習を少しやった程度です。

その他の学科はみんなと一緒に授業を受けるので、まったくちんぷんかんぷん。宿題を出されてもわからず、仲良くしていたお友だちの家が近かったので、ほぼ毎日、一緒に宿題をやってもらっていました。最初はとにかく、ただ写すだけです。とにかく提出しなきゃということで。

両親はそれほど教育熱心ではなくて、「英語を勉強しなさい」なども特に言われませんでしたが、とにかくまねして何度も何度も練習するしかなかったですね。今と違って筆記体でしたから。

そうこうしているうちに4年生、5年生と進み、6年生の終わりに成績がオール5になって、

「あ、私みんなに追いついたんだ」

って実感したのをはっきり覚えています。すごくうれしかったですよ。それまではやっぱり自信がなかったですし、3年はかかるんだなぁって思いました。

というわけで、必要に迫られた面もあって身につけた英語ですが、最も英語をやりたいと思ったモチベーションは音楽でした。

アメリカに行ってわりとすぐに入ったガールスカウトで、集会のあとに近所の子たち5~6人を車で送ってくれるんですが、車の中でラジオから流れてくる曲をみんなは大合唱してるのに私だけが歌えなくてね。

「なんかかっこいい!この歌を私も歌えるようになりたい!!」

と思って、ラジオで好きな曲が流れてくると耳をつけて聞いて……でも、それだけじゃ忘れちゃうので、書き始めたんです。でも、ラジオの曲を聴いてるだけじゃ書き取れないから、カセットテープに録音して、何度も何度も聞いて。今思えばディクテーションをしていたんですね。


中学の頃は英語にはほとんど不自由しませんでしたが、中3の時に帰国して、9月からまた日本の中学校に編入したんです。それから大学まで日本です。

でも、日本に帰ってからは苦労しましたね。

日本語での授業についていけない。特に古文や漢文なんてね、そんな授業がこの世に存在することも知らなかったので。おまけに、英語ができるかといえばこれまたできないんですよ。教科書はもちろん読めますし、内容もわかるけれど、テストができない。主語って何?現在進行形にするってどういうこと?という感じです。

いざ、大学受験になってみたら、私の滞在期間がほんのちょっと足りなかったばかりに、帰国子女枠で受験できないということが判明して、はじめて塾で「英語の勉強」をしたんですよ。そこでやっと、私がしゃべっているこの英語という言語はそういうものなんだって、逆にわかったんです。

大学に入ってから、部活が忙しくてアルバイトの時間があまりとれなかったので、家庭教師をすることになって……それまで英語を教えることになるなんて思ってもいなかったのですが、そこでものすごく勉強しました。

 

そして、キャスターになってさらに勉強しましたね。

だから、「帰国子女だから英語とか苦労なくできるんでしょ?」というのは大間違いですよ。

その後、結婚して子供をもって、子供に英語を教えることからスタートして、大人に教え始めたのは2017年ごろです。

ここでやっと、

なぜ《教え方研究所》のレッスンを受けたのか

という話になるわけです。

教えていると、発音がネックになって勉強が進まないということがあって、発音の重要性をあらためて認識しました。

ここで、壁にぶち当たるわけです。私はいつの間にか話せるようになってしまったので、どこがどう違って生徒がこの発音ができないのか、もうひとつ理解できないんです。なので、ちょっと皮肉なんですが、バイリンガルであることが、私の弱点だということに気づきました。


というわけで、発音を教えるにあたって、私自身が一からそれぞれの音のしくみを学びなおしたいと思って、いろいろ勉強したんですが、まだ納得いかない。

そこで出会ったのが、教え方研究所のメソッドです。

Clubhouseで田中栄一さんと知り合って、

「このメソッドこそ私が求めていたものだ!」

 

と思ったのが、講座に参加したきっかけです。

 

通常の【英語発音矯正塾】に加えて、【指導者研修会】にも参加して、それぞれの発音がどのようなしくみか、できない人にそれをどう教えたらいいか、ということを学んだわけです。

このほど、やっと教え方研究所のメソッドをマスターして、晴れて指導できる立場になれました。

目標の第一段階をクリアしたので、これから、発音から入る英語の指導にますます力を入れていきたいと思っています。
 

教え方研究所より

はまゆうさんのように、英語を指導する立場、いわば英語のプロフェッショナルの方が【英語発音矯正塾】を受講するケースが増えています。生徒に教えていると、『発音』を教えることの難しさに直面し、自身の発音をもっと向上させたいという欲も出てくるからでしょう。

​はまゆうさんには、教え方研究所認定講師として【基礎講座】を担当していただきます。

はまやゆうこ(はまゆう)

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